わかりきった答えが、正しいことはほとんどない。

Amazonのプライムビデオで「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」が無料配信されていたので、先日観ました。

以前、小説では読んでいたのですが、内容は結構忘れていますね。

その映画の中で何度か出てくるドラッカーの名言があります。それは、

「わかりきった答えが正しいことはほとんどない」(P. F. Drucker)

最近仕事やプライベートで思っていたことが簡潔かつストレートに表現されており、「これこれ!」「そうそう!」と思いました。


映画の中では、キャデラックの話が紹介されています。

1930年代大恐慌の頃のアメリカ、売れなくなったキャデラックの経営を任されたニコラス・ドレイシュタットは、「我々の競合相手はダイヤモンドやミンクのコートだ」といい。「顧客が購入するのは輸送手段ではなくステータスだ」と再定義することで、破産寸前から立ち直ったというお話です。


わかりきった答えというのは、自分にとって都合のよい答えであり、客観的に見ると正しくないことがたくさんあります。いわゆる常識と呼ばれているものもそうです。

そういう意味では、どんなテーマやケースにも他に答えがあるものです。

そのことに気づいていない(=見ている世界が小さい、視野が狭い)ことが原因で、親子間だったり夫婦間、会社の中で言えば組織間で様々な揉め事が生じているのではないでしょうか?


「あなたの会社の競合はどこですか?」「あなたのビジネスの顧客は誰ですか?」

という簡単すぎるように見える問いに対しても、どの視点から見るかによって、様々な答えが考えられるはずです。

そんな話を会社の同僚としていたところ、面白い話を教えてくれました。


「写真をなぜ1枚、2枚と数えるのか分からない」

今の子の一部(?)はそんな風に思っているそうなんです。

私は反射的に「いやいや、そんなことはないでしょう」と思いました。うちの小学生の娘だってきっと「1枚、2枚・・・」と数えるはずだと。

それでもさらに同僚がいうには、スマホやタブレットなどでサムネイル化された写真は、アイコンやボタンと同じく「1個、2個・・・」という風に数えるのが普通じゃないかと。

確かにそう言われてみれば、1枚、2枚という風に数える方が不自然です。

写真を1個、2個と数えるのはなかなか受け入れがたい価値観ですが、同じ世界を見ていても全く違う視点で見ている人がいるということに気付けるかどうかできっと明日の景色は変わってきますよね。


あすよみ発起人 まさ